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東京地方裁判所 平成9年(行ウ)265号 判決 2000年7月14日

原告

甲野太郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士

小澤彰

被告

地方公務員災害補償基金東京都支部長 石原慎太郎

右訴訟代理人弁護士

伊東健次

今井克治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第三 当裁判所の判断

一  争点1(本件事故の具体的態様)について

1  被告は、原告が丸ノ内線に乗車した際に、他の乗客の鞄又は肘が原告の腰背部にぶつかるという出来事があったことについては争わないものの、通勤起因性を否定する前提として、その具体的態様を争っているところ、本件事故についての目撃証言等はないから、原告の陳述の信用性、外傷性変化の有無、医学上の知見等を吟味することによりこれを判断するほかはない。

2  原告の陳述等

(一)  本件に顕れた原告の陳述等は次のようなものである。

(1) 三楽病院の診療記録(〔証拠略〕)の平成七年一一月三〇日欄(岩瀬医師が記載)

「かなり痛みとれてきた。」「一週間前、満員電車で腰を打った。」「今朝、腰を再び打った。」

なお、同所には原告の左腰背部に痛みがあることを示す人体図が描かれており、また、X線写真上外傷性変化なしとの記載がある。

(2) 通勤災害認定請求書(〔証拠略〕)の「災害発生の状況」欄

「地下鉄丸ノ内線、前より三両目の一番階段よりの入口より乗車すると、ドア前に三、四人程しか乗客はいなく、吊革席の乗客を除いては、自己の後ろはガラガラの状態であった。そのためか、発車時間際に、本来禁止されている駆け込み乗車の客が五、六名飛び込んで、自己の所まで、鞄か肘で突進するとは思わず、前方に突き飛ばされてから、痛みのために大声で車中にて怒り、振り向くが、なにぶん真後ろよりの突進のため、相手を特定できず、その列車は乗車率七割方にて発車し、庁内にて執務後AM一〇時〇〇分ころより腰背中に痛みが出て現在に至る。」

(3) 再審査請求時の原告の主張(〔証拠略〕)

「災害発生の態様は、原告が通勤途上の地下鉄車内において、駆け込み乗車をしてきた数名の中の一番前にいた者が持っていたアタッシュケースが原告の背部及び腰部に当たり、その急激な衝撃により体を強く押されながら体が捻れるような恰好になり、そのことによって背部から腰部にかけて痛みが走ったものである。」

(4) 訴状の原告の主張

「原告は混雑している電車内で背後から鞄か肘(ぶつかったときのバーンという音からするとアタッシュケースであると思われる)のようなものが原告の腰背部に激突してきたため、腰背部に強い衝撃を受けたので、原告は咄嗟に後ろを振り向きながら腰部に当たったものを払い除けようとして混雑する車内で不自然な形で体を捻ってしまったのである。原告はその際、自分の後ろを見たが、三、四人の人たちが重なって佇立しており、原告のすぐ後ろにいた人は顔が見えなかったので男か女かの区別はつかなかった。」

(5) 陳述書(〔証拠略〕)

「私は開いているドアとは反対のドア付近に開いているドアを背にして、ごく自然に立っていました。この日はJR線の千葉方面でのストライキの影響か、いつも満員である電車内が、椅子席は満席でしたが通路部分は七割程度の人が立っており、私の後ろのスペースには誰もいない状態でした。そして、電車が発車しようとしてドアが閉まりかけたとき、三、四人ほどの乗客が駆け込み乗車をしようとしてきて将棋倒しのように二列くらいになって乗り込んできて、ものすごい勢いで私にぶつかってきました。その一列分の約三名程度の体重を一番先頭の人が持っていたアタッシュケースを通して私の背中に勢いよくぶつかり、私は背骨の中程と腰の付け根に激痛が走り、受傷しました。このときの荷重は走る加速度を省略しても、標準体重六〇キログラムの男性三人として一八〇キログラムの力がアタッシュケースを通して私の背中にかかったことになります。すなわち、背骨の中程に九〇キログラムの力が働き、腰の付け根に九〇キログラムの力が働いたことになります。この九〇キログラムという力は、バーベルの重さでいうとかなり重く、自分の体がバネになり多少はね飛ばされなければ、普通だったら背骨が折れるほどの大事故になる荷重です。私は咄嗟に振り向き、人がぶつかってきた方を見たら、三、四名の乗客の一番前にアタッシュケースを持ったサラリーマンと思われる男性が立っていたので、駆け込み乗車をした勢いで私の背中をこのアタッシュケースが直撃したことが判りました。」

(6) 本人尋問

「自分はドアから入りまして、反対側の閉じているドアの鉄棒の近くの前に、入り口を背中に向けて立っていました。」「自分の前には一人ひとがいて、自分の後ろはまったくガラガラという状態で、たまたま電車が遅れており、これ以上もう人が入ってくることはないと思っていました。」「まったく無警戒で、駆け込みで人がどさっと乗って来ることはないと思っていました。多分二列で、一列が四人、合計八人の内の一列分が私の背中と腰のところに、何かアタッシュケースのようなものを持って、将棋倒し的にぶつかってきたという状況です。」「背中にバーンとものすごい音がしましたので、あんまり痛いので『痛ーい。』と大声上げて怒ったのです。」「あまり痛いものですから、ぶつかってきたものを左肘で多少はね除けて、瞬間後ろを見ました。」「振り向いたときには男だと思いますが、顔を隠した人がいました。」「(アタッシュケースのようなものを持っていたことの)確認はしていません。駆け込み乗車で、ほぼ私の後ろも満員状態になっていましたから、そういう確認はできません。」(以上は主尋問に対するもの)

「まったく無警戒でしたから、(乗客が飛び乗ってきたところを)見ていません。」「(後ろからぶつかられた後、自分より前にいた人には)ぶつかっていません。ですから、自分の体で受けた形になりますかね。」「(事故後、病院に行こうと思った痛みは、体をひねった痛みの部分ではなく、アタッシュケースなどを)ぶつけられた痛みのほうです。二か所ぶつけられているわけですから。」「(ぶつかった場所は)背中の真ん中辺りと腰の辺りです。」「これは推測ですが、アタッシュケースのようなものがドーンときたわけですから、その角が二か所あるので二か所ということです。」「その場では、痛くて大声を上げましたけれど、その後、骨が折れていたら大変だなと思ったのです。バーンと音がしてすごく痛かったですから。」(以上は補充尋問に対するもの)

(7) 最終準備書面の原告の主張

前記第二の三1(一)(1)のとおり。

(二)  以上の原告の陳述等については、以下の点を指摘できる。

(1) 複数の乗客が二列になって飛び乗って来たとの陳述部分は、その人数が一貫していない。原告は一方で、開いていたドアに背を向けて無警戒で立っていたとも述べており、他の乗客が飛び乗って来た際の状況を具体的に陳述できること自体にも疑問を抱かざるを得ない。

(2) 一列三人、二列で六人程度の乗客が地下鉄に飛び乗ったとしても、それらの者が反対側のドア付近まで走っていき、原告に衝突するという事態は通常想定し難い。特に最後尾の乗客は奥まで突き進む必然性がない。

(3) 突き飛ばされたとの陳述部分については、その結果原告の体がどの程度移動したのかが明らかでなく、かえって本人尋問の際には、自分よりも前にいた人にはぶつかっていない、自分の体で受けた形になるとも述べているところであって、果たして突き飛ばされるほどの衝撃であったかについては疑問を抱かざるを得ない。

(4) 身体が捻れたとの陳述は、身体が捻れたというような特段の出来事がない限り本件疾病は発症しないとの被告の見解が本件処分の理由書(〔証拠略〕)で示された後にされるようになったものであり、具体的状況についての陳述も一貫しない。

(5) 陳述書中にはアタッシュケースを持った男性が立っていたことが確認できたとの部分がある(前記(一)(5))が、この部分は、確認できなかった旨の他の陳述と明らかに整合性を欠いている。

(6) 本人尋問中、事故後、アタッシュケースなどをぶつけられた部分(背骨の中程と腰の付け根)が痛むので骨折を疑って病院に行ったとの部分(前記(一)(6))は、事故当日のカルテの人体図(同(1))と整合しない。

(7) 原告の陳述書(前記(一)(5))中、一八〇キログラムの力がアタッシュケースを通して原告の背中にかかったとの部分は、明らかに非論理的かつ過大であり、この点を含め、原告の陳述は後のものになるほど、過大になっていく傾向が見られる。

(三)  右に検討したように、本件事故の具体的態様に関する原告の陳述等には、一貫しない部分、通常想定し難い部分、陳述するに至った経緯に疑問のある部分、他との整合性を欠く部分及び過大な部分等が見られる。

また、右に検討した以外にも、原告の陳述あるいは主張中には、本件事故発生時すぐ近くに同じ文京区役所の職員がいたが、見ていないと言われて協力を得られない、文京区役所の上司らは、原告が用意した資料を被告に提出しないなど通勤災害認定請求に非協力的で、かえって原告を他の職員よりも不利に扱っている、岩瀬医師作成のカルテには必要なことの記載がなく、原告が冗談で言ったことを記載している、印南診療所の医師は診療報酬を請求するためにカルテに事実に反する腰痛との記載をしたなどというものがあるところ、このうち、近くにいた職員が見ていないと言っていることは原告の陳述の信用性を直接減殺するものであるし、他の陳述等は、明らかに虚偽であるとまではいえないものの、信憑性に乏しく、かえって陳述全体の信用性を減殺させるものであるということができる(ただし、文京区役所が資料を被告に提出しなかったとの点は、本件処分の理由書(〔証拠略〕)に原告の既往病歴や素因等についての記載があり、被告がこれらの情報を得ていたことが明らかであること及び通勤災害認定請求書(〔証拠略〕)の添付資料に照らし、明らかに事実に反すると認められる。また、カルテの腰痛との記載については後記二1(一)のとおりである。)。

これらの点からすると、原告の陳述は全体として信用性に乏しいといわざるを得ず、これを採用して、本件事故の具体的態様が原告主張のようなものであったと認定することは困難であるといわざるを得ない。むしろ、原告は他の乗客の動きを見ておらず、衝撃の程度についての陳述も過大であると考えられる。

3  外傷性変化の有無

(一)  原告は、本件事故により原告の腰椎部に過伸展が生じ、身長が一・四ないし二センチメートルも伸びたと主張する。その根拠とするところは、本件事故前の定期健康診断の際に測った身長が一七三センチメートルであったこと(乙四添付の健康診断結果報告書)、本件事故後に身長を測ったところ一七四・四センチメートル(〔証拠略〕)あるいは一七五・〇センチメートル(〔証拠略〕)であったというものである。

しかし、定期健康診断の際の身長測定の正確性には疑問が残るうえ、骨等に変化がないのに、身長が二センチメートルも伸びるなどということは考え難い。そのような異常が生じたならばX線写真上も異常な所見が認められてしかるべきであるが、後記各知見のいずれにもそのような指摘はないのであって、原告の主張は採用できるものではない。

(二)  また、原告は、左第九、第一〇肋骨骨折の疑いもあり、これも原告がかなりの衝撃を受けた証左であると主張する。

しかし、右主張に沿う診断書(〔証拠略〕)は、平成八年五月二九日左胸部痛を主訴として受診した際、骨折が疑われたという平成一二年三月二五日付けのものであるところ、右は原告が衝撃を受けたと主張するところと部位が異なる上、平成八年五月(本件処分がされてから間もない時期)にそのような診断がされたにもかかわらず、平成一二年三月(本件口頭弁論終結時)になって診断書が作成されたという作成経過も不自然であるから、右診断書は、本件事故との関連性に乏しいといわざるを得ない。よって、原告の主張は採用できない。

(三)  岩瀬医師が原告の体に外傷性変化は見られないと判断したことは前記2(一)(1)の診療記録の記載から明らかであり、他に、受傷部位の腫れや皮下出血等、衝撃が強度のものであったことを示す外傷性変化が認められるとする明確な証拠はない。

4  医学上の知見

(一)  本件事故に関する医学上の知見は次のようなものである。

(1) 安藤毅医師の意見書(〔証拠略〕)

発症状況は、「出勤途中の地下鉄車内で、発車間際に駆け込み乗車してきた乗客に、後方より突き飛ばされる」という通勤に伴う通常動作とは明らかに異なる腰部への急激な外力が突発的に作用したことによると考えられる。このような状況では、腰椎部に過伸展及び捻転を生じさせる外力が突発的に生じ、乗用車における後方よりの追突事故によって生じる頸権捻挫と同様の受傷機転により腰椎捻挫(急性腰痛症)が発症する可能性が非常に高いことは医学的に明らかであり、今回も同様の受傷機転によるものと推定される。原告の陳述する事故の状況とそれに基づく症状と、受診時の臨床所見と受傷機転には明らかな相関が認められた。

原告の症状の発現と経過、臨床所見(痛みの部位、強さ、再現性、治療に対する反応性など)から、いわゆる腰痛症とは著しく異なり、外傷を契機に発症した急性腰痛症であることは十分推定可能である(本症の場合、X線所見だけでは診断できない。)。

原告には確かに腰痛の既往歴が、過去に二回(平成元年三月一日、平成六年七月三日)あるが、いずれも単純な一過性の腰痛で完治していることは印南診療所の担当医が証明済みで、今回の腰痛発症との因果関係はないと判断している。また、症状が出現した比較的早期より当院に受診し、定期的に通院加療しており、腰痛の原因・経過については十分に把握していて、それに基づき診断書が作成されており、今回の腰痛が事故とは関係がないと積極的に支持する医学的根拠が見当たらないと考える。

原告の事故発生後の症状は重症で、日常生活において著しい支障を来たすものであり、X線所見や腰痛の既往歴を素因として発症した腰痛と症状が全く異なることは医学的に明らかであり、原告の急性腰痛症は通勤に起因して生じたことが明らかな疾病と認められ、通勤災害該当と認定されるべきと考える。

(2) 木村哲彦医師の意見書(〔証拠略〕)

(X線写真所見)<1>腰仙移行椎(第五腰椎右横突起が骨盤と癒合、リチャード病)、<2>脊柱の生理的湾曲を欠く(腰椎の前方凸の状態を欠く)、<3>第一一、一二胸椎間狭小(椎間軟骨圧潰を示す)、変形性脊椎症像は受傷時より二年間の期間を経て若干進行している。

X線写真及び診断時の所見のみから判断するならば、「変形性脊椎症に伴う筋筋膜性腰背痛」になるが、筋筋膜性腰背痛すなわち「腰背部筋筋膜症」の原因となり得る要因は単に変形性脊椎症のみではない。X線写真上の所見を参照するならば、下部腰椎の先天奇形である腰仙移行椎、変形性脊椎症(多くは経年変化)によっても筋筋膜性腰痛を惹起する結果に至る。また、外力による筋筋膜の損傷によっても容易に同じ状況が生まれるものであり、不自然な姿勢の保持によっても同様の状況が生じる。脊柱の生理的湾曲を欠く所見は筋筋膜の異常によっても惹起されるものであり、必ずしも脊柱の異常状態が先行して筋膜に異常をもたらしたと断定できない。

過労性の筋筋膜の炎症、腰椎の捻挫(上下の腰椎を結合させる、靭帯等軟部組織の損傷、ギックリ腰の一種)、急な体動による筋筋膜の損傷(多くのギックリ腰)、その他の脊椎の疾患、脊椎の外傷、先天奇形等によって誘発される二次的な筋筋膜の症状が、一般的に腰痛の原因として頻度が高いものであるが、発症時期が特定できている本症例の場合には、更に限定されると考えても差し支えない。すなわち、脊椎自体に骨の損傷を来したX線所見は認められず、軟部組織に急激なストレスを生じた結果、腰部の軟部組織に炎症症状を惹起したと考えるのが妥当である。

急性腰痛症すなわちギックリ腰の多くは四ないし七日を境に徐々に軽快するのが常であり、このような経過をとらないものの多くは基礎疾患として、あるいは解剖学的な状況として何らかの不利益が既に存在していた場合になる。また、神経学的な所見に全く異常の認められないことは、脊髄及び神経根に影響を与えない程度の軟部組織の損傷あるいは炎症が存在することであり、慢性化した状況が継続していると解釈される。

満員電車内等における圧迫等で生じるストレスの強度は、健常な男性の身体にとっては耐えられない程に激しいものではなく、予期していない筋弛緩状態のおりに、物理的に限界を超えた力が働いた場合(不自然な姿勢を強制された場合等)に急性腰痛を惹起する程度に留まるのが常である。

腰背部筋緊張(左側に著しい)、脊柱の生理的湾曲の不足(主訴にある身長の伸びとは関連づけられない)、変形性脊椎症の存在、腰仙移行椎の存在という客観的所見により腰痛の存在は明らかと考えられる。

腰部筋緊張、脊柱の生理的湾曲不足は単一の原因下で発症するものではなく、基礎疾患として変形性脊椎症、腰仙移行椎等が存在すれば、発症しやすいことは知られている。

「通勤途上の車中における外傷(捻挫又は挫傷)なかりせば、腰痛の発症はなかったはずである」という立場をとれば、車中での事故と腰痛は因果関係を有し、腰痛発症の一機転となったことは明白というべきである。

短期間で治癒するべき腰痛(長期に至るとしても概ね三月以内)が長期に及んでいることは本症例の場合には基礎疾患として持っている脊椎の不利益な状況が、車中の損傷によって症状として出現したと考えるのが妥当である。

(3) 山崎典郎医師の鑑定意見書(〔証拠略〕)

椎間関節に捻挫が生じたとなると腰に急激な捻転力が作用したか又は過度の屈曲・伸展が突発的に起こった場合が考えられるが本件の場合、単にアタッシュケースが腰背部にぶつかっただけであるから、腰椎に過度の屈曲・伸展が起こるとは判断しがたい。災害は一一月三〇日であるので薄着ではなく、着込んでいたものと思われる。したがって、直接の衝撃に対して持続する疼痛が生じることは考えられず、仮に振り向いて怒鳴った時に腰が捻転したとしても骨盤を固定して上体を捻転した場合(この場合、ストレスは腰椎上部に集中する。)と異なり、体幹・骨盤・下肢が一体となって回転するために腰部にのみ捻転力が作用するものではない。以上により、災害性のある、有害な力が腰部に作用したとは推認できない。

本人自署の災害時の見取図より見て原告は入口より離れた反対側の入口近くに乗っており、駆け込み乗車を六人程の人が行ったという事実があったとしても原告が入口にいたとしたならばともかく、見取図の如きスペースがあって激突されるということは、日常の交通・通勤の場合においては考えにくい。したがって仮に原告に腰背部に駆け込み乗車してきた人が接触したとしてもその衝撃は少なく、捻挫を起こさせるに足る大きな力が作用したとは考えにくい。

では、どうして前述の如き災害性の少ない衝撃で発症した症状の治癒が遷延しているのかを考えると二つの理由をあげざるを得ない。すなわち、素因の存在及び精神・心理的な要因である。

素因については、原告の腰椎レ線像では第五腰椎の右横突起は大きく、仙椎と接触し関節を形成(相関節)している。このものは腰仙移行椎と称し、神中正一はこれを四つの型に分類しており、原告の場合は第二型に該当する。この第二型、すなわち一側の腰椎助骨部が異常に発達して仙椎側翼部と関節をなし、しかもこれに変形性関節症を形成しているものはここに疼痛の起因があると推定してもよいと述べられている。このように、型別分類では原告の如き第二型においては、素因となっているという前述の説は等閑に付すことはできないと考える。意見者は、本件腰痛の原因はこの移行椎があることにより、第五腰椎の運動に不均衡が生じて、その一つ上の椎間板(この場合L四/五間)の変性を促進し、椎間板性疼痛が生じた可能性が大きいと考える。

原告は肥満体である。平成五年六月一六日の健康診断結果報告書では、身長一七三センチメートル、体重九一キログラムであり、平成七年六月一六日における体重は八九キログラムでいずれも肥満と診断されている。身長より割り出した標準体重は六五・八キログラムであり、明らかに肥満体であることが認められる。肥満体であることは腰痛の発症原因はもちろん治癒遷延にも関与する。

また、原告のレントゲン写真、MRI画像によると椎間板ヘルニアは認められず、L四/五間の椎間板の軽度の狭小が認められる。そして、第五腰椎椎体の前上部に軽度の骨棘形成が見られ腰椎の生理的前湾が減少/消失している。このような素因によって治癒が遷延したと考えざるを得ない。以上が発症原因と治癒遷延が素因によるとする理由である。

なお、精神・心理的な要因については可能性があるということに留まるが、交通事故などで外傷を負った場合には、心因反応を生じる例が多く、心理的アプローチが必要となることがある。特に治癒遷延がある例では、精神・心理的な要因も素因として考慮しなければならない。

印南診療所受診以来の原告の腰痛に関する経過は原告の素因によって起こってきたものであり、平成七年一一月三〇日の災害は機会原因にすぎないことが明らかである。

(二)  右のうち、安藤毅医師の意見書は、原告の陳述する事故の状況とそれに基づく症状と、受診時の臨床所見(痛みの部位、強さ、再現性、治療に対する反応性など)と受傷機転には明らかな相関が認められたという内容であり、原告の主張に沿うものとなっている。

しかしながら、右意見書は、前記のとおり一貫性等を欠く陳述をする原告からどのような情報を得て、本件事故の具体的態様をどのようなものと認識したのかが明確であるとはいえないこと、臨床所見も項目が示されているのみで、具体的内容が示されていないこと、原告が鞄等をぶつけられたと訴える部位と痛みを訴える部位との異同や両者が異なる場合の説明もないこと等から、右意見書を採用して、本件事故の態様が原告主張のような強度の衝撃を伴うものであったと認めることは困難であるといわざるを得ない。

また、木村哲彦医師の意見書は、本件事故の態様が原告主張のものであったことを否定するものではないが、積極的に補強する内容であるともいえない。

これらに対し山崎典郎医師の鑑定意見書は、本件事故の態様が原告主張のものであったことに否定的である。

5  以上のように、原告の陳述には信用し難いものがあること、外傷性変化も見られないこと、安藤毅医師らの意見書が原告の陳述等を補強するに足りないことからすると、本件事故が原告主張(前記第二の三1(一))の態様のものであると認めることは困難で、他の乗客の鞄又は肘が原告の腰背部にぶつかるという出来事はあったにせよ、その具体的態様は不明で、ただ衝撃の程度は、原告主張のような強度のものであったとは認められないといわざるを得ない。

二  争点2(本件疾病の通勤起因性)について

1  原告の素因・基礎疾患と本件疾病との関係

(一)  〔証拠略〕によれば、原告は、平成元年三月一日に印南診療所で受診して腰痛症との診断を受け、理学療法(マクターすなわち簡易コルセットによる)一回と投薬を受けたこと、以後、同年五月二四日、平成二年一月一六日、同年二月六日、同年七月一日、平成三年三月六日、及び平成六年七月三日にも同診療所で受診し、理学療法を受けたことが認められる。

原告は、この点につき、疲れをとるためにマッサージ機を利用したところ、医師が診療報酬を請求するためにカルテに腰痛と記載したものであると主張し、これに沿う原告本人の陳述もあるが、前記証拠の記載内容が具体的であることに照らし、採用できない。

(二)  原告の素因・基礎疾患に関する医学上の知見は、前記一4(一)(1)ないし(3)のとおりである。これらによれば、原告には、<1>腰仙移行椎、<2>腰椎の生理的前湾の減少ないし消失、<3>変形性脊椎症の各所見が認められること、また、原告は明らかな肥満体であること、そして、これらは腰痛症発症の原因となるものであることが認められる。

(三)  右(一)及び(二)で認定したところと、前記一4(一)(2)及び(3)の各知見によれば、原告は、本件事故以前から、腰痛症を発症しやすい素因・基礎疾患を有しており、右のような素因等を有しなければ腰痛症を発症しない程度の刺激でも腰痛症を発症しやすい状態にあったと認めることができ、原告の右のような素因等が本件疾病発症の原因の一つとなっていることは明らかであるというべきである。

これと異なる安藤毅医師の意見書(前記一4(一)(1))は、原告の素因等についての記載が乏しく、この点について十分に検討されているとは認められないから、採用できない。

2  通勤起因性

(一)  判断基準

通勤災害保護制度は、通勤に通常内在する危険の現実化としての公務員等の負傷、疾病、障害又は死亡を保護することを目的とする制度であるから、疾病等が通勤災害に該当すると認められるためには、当該疾病等が通勤に内在する危険が現実化したものと認められること、すなわち、通勤がなければ当該疾病等が発生しなかったであろうという条件関係があることを前提に、通勤と疾病等との間に相当因果関係のあることが必要であるというべきである。そして、当該疾病等の原因が単一である場合には、当該原因が通勤に通常内在する危険であると認められれば相当因果関係(通勤起因性)が肯定されるが、当該疾病等の原因が複数考えられ、それらが競合して当該疾病等が生じた場合に通勤と疾病等との間に相当因果関係が認められるためには、通勤が他の原因に比して相対的に有力な原因であると認められることが必要であるというべきである。

(二)  本件疾病の通勤起因性

(1) 本件事故の具体的態様についての当裁判所の判断は前記一5のとおりであり、腰仙移行椎、腰椎の生理的前湾の減少ないし消失、変形性脊椎症、肥満体といった素因・基礎疾患がなくとも、本件疾病を発症させる態様のものであったと認めることはできない。

そこで、本件事故が、腰仙移行椎、腰椎の生理的前湾の減少ないし消失、変形性脊椎症、肥満体といった原因の素因・基礎疾患に比して本件疾病発症の相対的に有力な原因であると認められるかについて検討するに、本件事故の具体的態様は不明で、ただ衝撃の程度は、原告主張のような強度のものであったとは認められないこと(前記一5)、原告は右素因等のため腰痛症を発症しやすい状態にあったと認められること(前記二1(三))、加えて、〔証拠略〕によれば、原告の腰痛症はその後慢性化し、慢性化したことについては原告の素因等が主要な要因になっていると認められる(前記一4(一)(2)及び(3))が、このことは本件疾病発症に際しても原告の素因等が有力な要因になっていることを示唆すると考えられることからすると、少なくとも、本件事故が原告の素因等に比して相対的に有力な原因であるとは認められないというべきである(なお、本件事故が原告の基礎疾患を著しく増悪させたと認めるに足りる証拠もない。)。

よって、本件事故と本件疾病発症との間に相当因果関係は認められず、本件疾病には通勤起因性が認められない。

(2) 原告は、責任率により量的に解決すべきであるとも主張するところ、その趣旨は明確とはいえないものの、不法行為に関し説かれている割合的因果関係論を通勤災害保護制度にも及ぼして、割合を定めての通勤災害認定を求める趣旨であると解される。

しかし、不法行為制度は損害の公平な分担を目的とする制度であって、割合的因果関係論も、誰にどのような範囲で損害を分担させるのが公平かという観点から説かれているものである。これに対し、通勤災害保護制度は、前述したとおり、通勤に内在する危険の現実化としての公務員等の負傷、疾病、障害又は死亡を保護することを目的とする制度であって、通勤災害に該当する場合に補償される範囲もあらかじめ法定され(地方公務員災害補償法二六条ないし二八条、二八条の二、二九条等)、その全額を支給するのを原則とし、例外的に全部又は一部の支給を行わない場合も法定されている(同法三〇条等)ところである。このように、通勤災害保護制度は不法行為制度とは目的及び機能等を異にする制度であるから不法行為に関する議論をそのまま持ち込むのは相当でない。よって、原告の主張は採用できない。

三  結論

以上の次第であるから、本件疾病には通勤起因性が認められず、通勤災害非該当と認定した本件処分に違反はない。

よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯島健太郎)

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